白洲次郎

一つ年上の幼馴染

次郎が神戸一中だったのに対して、牛場は神戸二中の卒業。
その後は、一高、東大、オックスフォードヘト進学。

 

詳細は、『白洲次郎 占領を背負った男』の61ページに書いてあります。

 

牛場さんが、近衛文麿さんの私設秘書をしていた関係で、次郎さんも近衛文麿さんに紹介されたようですね。NHKドラマスペシャルでは、あまり深く触れられていませんでしたが、近衛さんが自殺する前夜の出来事などがリアルに描写されています。次郎さんがなんとか自殺を止められないものかと悶々とした挙句にの親戚にあたる松本重治さんに電話したというのは、なんとなく理解できます。

 

松本さんは、六本木の国際文化会館を作った方として知られていますが、一体どんな方なのか深く知りたい方の一人です。吉田茂が次郎さんに大臣をやらせようとして松本さんに相談した時に、『白洲は舌たらずなところがあるから国会の答弁はちょっと無理じゃないですか。やめたほうがいいですよ。』といったそうです。次郎さんの言葉が足りないことを心配してのことのようですが、親戚で親しいからこそ出るお言葉なのでしょう。

 

ちなみに松本重治さんは、神戸一中で次郎さんの4つ先輩だそうです。関東圏では、それほど有名ではないと思いますが、西の渋沢栄一と言われたそうですね。

 

牛場さんは第一次近衛内閣で、首相補佐官を務めたほどですからかなり信頼されていたのだと思います。近衛さんの側近グループには、結構すごいメンバーがかかわりあっているのですね。尾崎秀美(おざきほつみ)さんの名前が出てきて、ゾルゲ関係の書籍も読まなくてはと思っています。尾崎さんのペンネームは、白川次郎だったそうです。この尾崎秀美さんは、牛場さんと一高で同級生だったそうです。

 

牛場さんと幼馴染でなかったとしたら、白洲次郎も近衛さんとは出会うことはなく、吉田茂とも出会わなかったのかもしれません。

 

次郎さんがマスコミにどう書かれようとも、何の反論もせずに黙って何も語らない姿勢を貫き通せたのは、理解してくれる友人に恵まれたからなのかもしれません。少なくても良いから仲の良い友人は、終生大切にしたいものです。

牛場友彦関連ページ

吉田茂
吉田茂さんは、自由民主党の麻生太郎氏の母親の父親です。白洲次郎と最も関係が深かった人と言えるかもしれません。
正力松太郎
読売新聞中興の祖として知られる正力松太郎さんも白洲次郎さんに会いにに行ったそうですね。