白洲次郎

次郎の生い立ち

明治35年2月17日兵庫県で生まれる。

 

詳細は、『白洲次郎 占領を背負った男』 のなかの育ちの良い生粋の野蛮人(14ページ)あたりに書いてありました。小さいころには体が弱かったそうですね。母親の必死の看病で何度か死の淵から這い上がったと書いてありました。

 

家の近所の鰻屋さんで『中現長(なかげんちょう)』 というお店があったそうですが、此処のおかみさんにもかわいがってもらったそうです。読まれる方は、是非このことを覚えておいてほしいものです。

 

次郎さんは、中学の時からスポーツカーを乗り回していたらしい!そんなうわさ話はとっても有名です。中学といっても旧制中学ですから今でいう高校生ですね。漫画の巨人の星で花形満という星飛雄馬のライバルは高校生でスポーツカーに乗っていました。高校生でスポーツカーを乗り回している人なんかいないだろうという話がありましたが、実際に花形選手のモデルは白洲次郎だという噂を聞いたことがあります。

 

白洲次郎という人がどういう父親と母親の間に生まれたのか?そして、父、文平(ふみひら)や祖父の退蔵はどんな人物だったのか?これを知ることで白洲次郎という人にかなり近づけたような気がします。

 

名門神戸一中時代は、喧嘩に明け暮れていたそうです。NHKドラマスペシャルでも取り上げられていましたが、白洲家には、喧嘩の相手などにとどける菓子折りが用意されていたのだとか?結局いつもやっつけてしまっていたのですね。

 

神戸一中のことを次郎さんはあまり好きではなかったようですが、ここでの出会いが後々の人生でも大きな財産になっているような気がします。松本重治さんは一中の4つ先輩だそうですし、戦争中鶴川の武相荘で一緒に過ごすことになる河上徹太郎は同級生、今日出美は2つ下でしょうか?

 

この大親友は、のちにそれぞれ旧制東京府立第一中学校(都立日比谷高校)、旧制浦和高校(県立浦和高校)を経て東京大学に進学しています。次郎さんはというとあまりに乱暴者だったので、イギリスに島流しにされ、ケンブリッジ大学のクレア・カレッジに学んだそうです。

生い立ちエントリー一覧